AAAのおわり

めちゃくちゃ長くなりそうだけど思うままに書きます

 


AAAをすきになったのは11歳のとき

JUNONに載ってた西島くんと與さんは知っててそしたら発売前のMVがテレビであってて(Break Down)みたら一発で興味を持ちました

詳しくは覚えてないんだけどたしかそんな感じだった気がする

体があんまり強くなくて学校を休みがちだったから休んだ日はずっとYouTubeでAAAの動画を見漁ってた

小学校の名札の裏にAAAの写真入れてたなあ

少ししてファンクラブに入って中学2年生?のとき学校休んで初めてライブに行きました。(BUZZ)

もう全然覚えてないんだけど多分楽しかったと思う。あのときはたしかちょうどメンバー仲が悪いときだったな(笑)與さんがめっちゃ手振ってくれて意外だった気がする。

3年生のときは受験で行かなかったな(外れちゃったし)

高1のとき初めて熊本に来てくれて、その次の年からアリーナツアーになっちゃったから最初で最後の熊本だったんだけど初めて1人で行ったなあ(また平日だったから学校休んだ)高1からは毎年行ってて本当にわたしの青春の全てです。わたしの思い出す学生生活、ずっとAAAが流れています。

 


そうだ、中1のときに初めて紅白に出て、たくさん「おめでとう」って言ってもらったなあ

その年からレコ大と紅白に出て年末がたのしみだった

 


大学1年生のとき、初めてドームをやることになってそのとき正直結構冷めててチケット買ってなかったけど友だちが誘ってくれて人生で初めてドームに行きました。初ドームがAAAになるなんて思ってなかった。もう登場からずっと泣いてたね(笑)永遠に泣いてた。人気になったねって思いながら。

AAAに関しては完全にAAAから発信される情報だけをみてきたから正直世間からどのくらい人気があるとか全然わかってなくて、それは今もなんだけど、でもドームでできるようになったんだって凄く感慨深かった。ジャニーズみたいにデビューしたら大きな会場でできるわけじゃないから本当に一歩一歩だったね。本当にうれしかったよ

 


年が明けて突然の千晃ちゃんの卒業発表。全然理解できなくて「AAAって卒業制なん?(笑)」ってヘラヘラしてたけど時間が経つにつれて頭の中が整理されてショックで仕方なかった。その日の夜銭湯でぶっ倒れたし。

めちゃくちゃ悲しくて、でもそれはだんだん怒りに変わって。今でもずっと怒ってる。当たり前が壊れた瞬間だった。

Nissyの追加公演の横アリ。当時まだSNSをしてなかった西島くんが「僕はアーティストだから歌で気持ちを伝える」って歌ったBelieve own way。一生忘れないと思う。Nissyの世界を壊したことにとてつもなく腹が立った。

発表後脱退するのは3月いっぱいだったけどもう表に7人で立つことはなくて、実質そこから6人での活動だったね。6人で最初にでたMステをテレビの前で泣きながらみました。

4月になって6人で再始動してから、正直わたしは6人のAAAがいちばんすきでした。すきというかいちばん良い状態だと思ってた。パフォーマンスが洗練されてたと思う。6人での初めてのツアー、幕が開いてボロ泣きして歌割の変わった歌を聞いて泣いて、2人で歌うはずだった歌を1人でギター弾きながら歌う宇野さんをみてボロ泣きして。ずっと泣いてた。その後のドームからは正直もう無敵だなと思ってた。

 


その次の年のCOLOR A LIFE。わたしはこのライブがだいすきだった。構成、セトリ、演出全てが完璧でAAA史上いちばんのライブだと思った。これはたくさんの人に自信を持って勧めたいしみてほしいと思った。(その前の年のLEAP OVERが本当に良くなかったので)ソロ活動が、活発になってたけどそれぞれのソロ活動が存分に還元されてるなって思ってた。最初東京入ってあまりにもよかったから急遽福岡2days買い足したもんね。

 


そして年が明けて3月からはNissyの5周年のドームツアーが始まった。名古屋以外のヤフオク、京セラ、東京ドームに行って京セラの1日目終わった後。携帯をみたら浦田さん逮捕のニュース。何も理解できず会場を出た。ニュースを読み内容をなんとなく把握しそれまでの素行から特に驚きもせず「やってくれたな」の気持ち。友だちの家に向かう電車の中で会見が始まる。まじで最悪な会見をやりやがって怒りがやばすぎたので会見をみるのをやめた。次の日京セラに向かう電車の中であまりの悔しさ、不甲斐なさに涙が出た。西島くんは謝ってた。許せないと思った。

 


そのあとのファンミ、初めての5人体制。オープニングの映像から爆泣きしてた。5人が登場してて会場を見渡しながら全く笑わない西島くん。お客さんを丁寧に見ながらトロッコに乗っててもうずっと泣いてた。西島くんにあんな顔をさせたことが許せなかった。少しだけその件に触れてその後はいつもの西島くんに戻ってたけど。正直泣きすぎてほとんど覚えてない。2公演ともアリーナでちょうど対面みたいな席だったんだけど2公演目、人生で初めてムービングステージの下の席になった。凄くたのしかったなあ。そして何より初めて西島くんにファンサをもらった。ムービングステージで移動してて西島くんだけをただみてたんだけど通り過ぎた瞬間パッて下をみてくれて目を合わせてニコッて笑ってくれた。うちわとか何も持ってなくてタオル首にかけてただけだったのに。あの瞬間は宝物です。

 

そして最後のツアーになったPLUS。もうドームでAAAに会えるのは最後なんだろうなと思いながら迎えた初日。正直不安だったし幕が開くのが怖かった。WAY OF GROLYで日高くんが泣いてたね。でも「AAA、まだまだ道の途中」って言ってくれて、その一言にとても救われました。前回のCALを越えてだいすきなツアーだったなあ。5人だとどうしても歌が不安定だったり物足りない部分もあったけど、それでもソロが100%還元されてるなって感じました。特に日高くんね。オーラスのWOG、気付いたら全員泣いてた。AAAのことであんなに泣いてる西島くんをみたのは久しぶりでした。あのときの涙の理由は今もわからないけどたくさんしんどかったよね。

 

年が明けて1月15日。年内で活動休止のお知らせ。やっぱりなとしか思わなかった。それぞれからの言葉、西島くんだけ圧倒的に文章量が多かった。気がついたら西島くんは誰よりもファンに伝わりやすい言葉を届けられる人になっていました。活動を休止する話を始めたのが2016年だったことには驚いたけど。そんな話をしながらメンバーが2人も辞めて、それなのにAAAを守り続けてくれた5人には感謝してもしきれません。本当にありがとう。

 

だからもう、ゆっくり休んでください。わたしは全力でAAAが与えてくれるものを受け取ってきたつもりです。もう悔いは一切ないよ。たくさんのありがとうとだいすきを。

 

お疲れ様でした。